安土城の天主台跡を見学したあとは下山するのだが来た方の反対側から降りる。
反対側には摠見寺というお寺の建物の一部があり、安土城跡で唯一まともに残っているといってよい建築物だ。なんで安土城は綺麗サッパリと無くなったのに、お城内にあったお寺だけが残ったのかはやはり謎という他にない。
摠見寺は安土城が築城された時に近隣のお寺から色々と建物を移築してきて建立された。住職も代々織田家から選ばれてきた。まさに織田家による織田家のためのお寺。江戸時代もずっとあったようだが、安政元年に本堂を含む建物を消失してしまった。安土城が焼けた時には焼け落ちなかったが摠見寺だが、織田信長の300回忌を前に焼けてしまったのだ。250回忌まではやったらしい。
重要文化財に指定されている三重塔が見える。これがなければ本当に石垣と石段だけの山だった。
当時の技術でこれだけのものを移築してきたのだからたいしたものだ。バラバラにして組み直したのだろうか。
お寺関係には五月蝿いオッさんに摠見寺についてコメントを求めると「織田信長は仏教とか大嫌いで
殲滅しようとしてたんでしょ。何でこんなお寺が安土城にあるの。変やなあ」とのこと。いやいやいやいや何という恐ろしいことを。
別に織田信長は宗教活動を禁止していたわけでは無いわけで。たしかに信長は一向宗門徒と激しい戦を繰り広げていたけれど、仏教もキリスト教も保護するところは保護している。
そもそも父親の信秀は今の大須にある曹洞宗の萬松寺に弔わられている。真偽はわからないけど桶狭間の戦いの折には熱田神宮に戦勝祈願したという有名な逸話もある。織田信長自身だって各地のお寺にお墓がある。建勲神社という神社の主祭神にもなっている。決して仏教を殲滅しようとしていた人じゃなので覚えておいてほしい。当時そんなことをしようとしたらただじゃ済まない。たとえ織田信長といえど生きていけない。まあ、たしかに殺されてしまったけど。……なんでやろ?
石段を降りていくと先に山門が見える。これも摠見寺の一部。
仁王門に釘付けのオッさん。
オッさんは仏教のフィギュア関連には目がない。写実的な筋肉描写に感心する。良かった良かった。
かようなわけで安土見学は終わり。
ただし日帰り滋賀旅行はもうちょっとだけ続く。