18きっぷを利用して大阪を早朝に出発した僕は、いつもと同じように姫路で乗り換え、岡山で乗り換え、糸崎で乗り換え、そして13時5分にJR岩国駅で降りた。42分後にくる下関行きに乗るためだ。そうとなれば何時もと同じように改札を出てまっすぐに
駅前のラーメン屋に向かってしまう。
こと九州方面に向かう18きっぷの旅に関しては、JRがダイヤを変更しない限り、このラーメン屋が営業を続けている限りは、判で押したように同じ行動を繰り返している筈だ。同じレコードを何度もかけるように、同じ映画を定期的に見返すように、僕はいつも岩国駅で降りて同じ時間にラーメン屋に向かっている。
岩国駅の改札を出てロータリーの右側が末広食堂だ。ここまでは何時もと同じだったのだが、この日は少々勝手が違っていた。店の前に大行列。こんなのに遭遇したのは初めてで面食らってしまう。理由はわからないけれど、お盆の時期だからかもしれない。そういえばお盆の時期にはあまり来た記憶が無い。途中の電車はさほど混んだりしていなかったから意識していなかった。
とにかく、この不意打ちに、僕は何度も見返した筈の『ダイ・ハード』で、いきなりマクレーン刑事が撃たれて終わるのを目撃してしまったくらいの暗澹たる気持ちになってしまう。『ダイ・ハード』を見る時はいつだってすかっとしたいし、JR岩国駅で降りる時はいつも胃袋が末広食堂のラーメンになっているのだ。
40分程度の乗り換え待ち時間では、この人数の行列の最後尾でぼんやりと待ち、それからラーメンを注文してのんびり食べるとなると、かなり厳しいように思えた。すぐに入ったとしても、注文してから10分近くは待たされる店なのだ。今回ばかりは諦めるしかないのか。がっかりしつつ踵を返した。しかし岩国駅の前まで引き返してきて、再び踵を返して末広食堂に向かう。
とにかく、並んでみよう。
次の下関行きがくる40分間は、どうせ何もする予定も無いのである。並んでみてダメだったらそこで諦めれば良いだけだ。首尾よくラーメンにありついて、食べている途中で厳しくなったら残して席を立つか、もしくは電車を一本遅らせるか。それはその時に考えれば良い。冷静に考えてみれば、最悪のケースとして電車を1本遅らせても、それほど深刻なダメージがあるわけでもない。ならばチャレンジしてみる価値はある筈だ。
およそ20分後。僕は末広食堂の脂たっぷり中華そばにありついていた。
いつものゆっくりペースのイメージとは違って、意外と列の回転が早く、あれよあれよという間に行列は消化されて、気がつけば食券を買ってテーブルに座っていたのだ。中華そばもわりにすぐに出てきた。これなら食べる時間は十分にある。今まで見てきたのんびりムードとは打って変わって、さすが駅前ラーメンといった素早いフットワーク。末広食堂の本当の力を見た気がした。伊達に何十年も営業していないのである。信じて並んで良かった!
ふるふるの背脂が、小川の玉石のように光っている。駅前の中華そば屋でこんな凄いのを出されたら驚くだろう。僕も最初はたいへんに驚いた。そのうえ「アブラ濃いめ」と注文すると、無料でアブラを増やしてくれる。最初は知らなかったが回りの客がやっているのを見て覚えた。モヤシやネギの増量は有料とメニューにある。こちらはまだ試した事がない。次回こそはやってみようと思いつつ何年かになる。
スープからは煮込んだ豚の匂いがぷんぷんとする。とんこつラーメン屋の豚骨臭とはまた全然違う。そもそもこれは所謂とんこつラーメンでは無い。麺もスープも違っている。ラーメン二郎を知っている人なら話は早い。ああいう類の匂いがするのだ。スープの味もだいたい似ている。末広食堂は50年の歴史があるというが、50年も前からこんなラーメンを作っていたのだろうか。ただし麺は完全に細麺。これは尾道ラーメンや岡山ラーメンなんかと同じタイプのものだ。
前に記事に書いた京都のますたにも60年の歴史がある。それよりは後のラーメンということだけど、浮いている背脂の大きさとか濃さは断然すごくなっている。ちなみにラーメン二郎は45年の歴史。それぞれの店が何か影響し合っているのかは知らないけれど、だいたい50年前後の時期にこういうラーメンが登場して、それが長く続いているのが興味深い。ちなみに、岩国から距離的に近くて、やはり背脂の浮いている尾道ラーメンの老舗朱華園も、およそ60年ほどの歴史があるようだ。
電車の時間が心配なので、心持ち早めに細麺をたぐっていく。そんなに熱々でもないので食べやすい。今まであまり意識していなかったけど、電車待ちの客に配慮して食べやすい温度になっているような気もする。どこまでいっても駅前ラーメンのスタンスは守っているのかもしれない。
スープまで飲んで店を後にする。朝起きてから13時まで何も食べずに我慢して、最初にここの中華そばにありつくのが毎度の楽しみなのだ。起き抜けで最初の食事がコレと書くと凄いけど、起きてから8時間以上は経っているのでそんなもので大丈夫だ。今回も満足した。いつも満足し過ぎて、九州に渡ってからは、あまりラーメンが食べたく無くなってしまう。ちょっとしたジレンマでもある。
岩国市は弘兼憲史の出身地。駅前からはいつも島耕作バスが出ている。電車に乗る前にこんなものを撮影する余裕すらあった。電車に乗る前にホームのトイレに寄る余裕すらあるだろう。行列を見て諦めずに並んでみて本当に良かった。
この日の末広食堂の中華そばは何時にもない満足感を与えてくれた。僕の中での下り方面の山陽本線は、岩国駅の中華そばのドロドロに濃い味とセットになったものだ。